「このシステムの使い方は、入社したときに前の人から教わった通りにやっています」。10-30人規模の会社で業務のやり方を尋ねると、驚くほど頻繁にこの答えが返ってきます。マニュアルや手順書があるわけではなく、口頭で伝えられた手順が、そのまま何年も引き継がれ続けている状態です。

この状態は、10人未満の創業期にはあまり目立ちません。関わる人数が少なく、疑問があればその場で確認できるためです。しかし社員数が10人を超え、部署が増え、業務の担当が入れ替わり始める10-30人規模になると、この「口頭伝承の連鎖」が思わぬリスクを抱えるようになります。教える人と教わる人の間で情報が少しずつ変質し、誰も「なぜそうするのか」を説明できないまま、手順だけが独り歩きしていくのです。

このガイドでは、30人規模特有のこの暗黙知依存の構造を整理し、リスクを具体的に洗い出すための観点とチェック方法を解説します。

「マニュアルがない」と「属人化している」は同じではない

まず整理しておきたいのが、「マニュアルがない」ことと「属人化している」ことは、似ているようで異なる概念だという点です。マニュアルがなくても、複数の人が同じ手順を正しく理解し、誰が対応しても同じ結果になる状態であれば、実質的なリスクは低いといえます。逆にマニュアルがあっても、実際の運用が形骸化し、現場では別のやり方がまかり通っている場合は、書面上の手順と実態が乖離しているという、また別の問題を抱えています。

真に警戒すべきなのは、「特定の少数の人しか正しい手順を知らない」状態、すなわち属人化です。10-30人規模の会社でよく見られるのは、次のようなパターンです。

  • 入社時に前任者から口頭で教わった手順を、そのまま次の後任にも口頭で伝えている
  • 手順の背景にある「なぜそうするのか」という理由が、伝言ゲームの過程で失われている
  • 教わった通りにやっているだけで、その手順が今も最適か、あるいは正しいかを誰も検証していない

この3つが重なった状態こそが、このガイドで扱う「暗黙知依存の属人化リスク」です。

なぜ30人規模で暗黙知依存が特に深刻になるのか

10人未満の会社であれば、業務の担当者が入れ替わることはまだ少なく、最初にその業務を始めた人がそのまま長く担当し続けるケースが多くあります。この場合、暗黙知は「本人の頭の中」に留まっているものの、少なくとも「本人が正確な原型を保持している」という点では、まだリスクは限定的です。

しかし10-30人規模になると、状況が変わります。業務量の増加に伴い、担当者の異動や増員が発生し始めます。ここで起きるのが「暗黙知の伝言ゲーム化」です。最初にその業務を作った人(多くは創業メンバーやその業務の立ち上げ担当者)が、次の担当者に口頭で手順を伝えます。その担当者がさらに次の担当者へ伝える頃には、最初の「なぜそうするのか」という背景情報が抜け落ち、「とにかくこの通りにやる」という表面的な手順だけが残っていきます。

さらに厄介なのは、この伝言ゲームの過程で、誤った理解や不要になった手順がそのまま引き継がれ続けることです。例えば「このシステムは必ず月曜の朝一番に再起動する」という手順が、実は数年前に発生した特定の不具合への対処として始まったものであり、今ではその不具合自体がシステムの改修で解消されているにもかかわらず、理由を知らないまま習慣として続けられている、といったケースは珍しくありません。

暗黙知依存が引き起こす具体的なリスク

暗黙知に依存した業務運用を放置すると、次のようなリスクが顕在化します。

  • 担当者の不在時に業務が完全に止まる: 「教わった通り」にしかできない担当者は、想定外の事態(システムのエラーメッセージがいつもと違う、手順通りに進めても結果が出ないなど)に対応できません
  • 誤った手順が正しい手順として定着する: 背景を知らないまま続けられている手順の中に、実は非効率、あるいは誤りを含むものが混じっている可能性があります
  • 改善の機会が失われる: 「なぜそうするのか」が分からないまま業務を続けていると、本来もっと効率的なやり方があっても、それに気づく機会自体が失われます
  • 監査や制度対応で説明責任を果たせない: 個人情報保護や取引先からの監査要請があった際、「なぜこの手順で運用しているのか」を論理的に説明できないと、信頼性を疑われる原因になります

これらのリスクは、平時にはほとんど表面化しません。担当者が問題なく業務をこなしている間は、暗黙知依存の状態であっても業務は回り続けます。しかし、担当者の退職・異動・長期休暇といった「不在」のタイミングで、一気にリスクが顕在化します。

暗黙知依存を洗い出す3つの観点

暗黙知依存のリスクを洗い出すには、次の3つの観点でチェックしていくことが有効です。

観点1: 「なぜ」を説明できるか

担当者に対して、業務の手順そのものではなく、「なぜその手順なのか」を尋ねてみてください。多くの担当者は手順自体は淀みなく説明できますが、「なぜこの順番なのか」「なぜこのタイミングなのか」と一歩踏み込んだ質問をすると、答えに詰まることがあります。「教わったときからずっとこうしているので」という回答が返ってきた場合、それは暗黙知依存の兆候です。

観点2: 代役が務まるか

その業務を、担当者以外の別の社員が代わりに対応できるかを確認してください。実際に代役を立てて試してみるのが最も確実な検証方法ですが、時間や業務上のリスクを考慮すると難しい場合は、担当者に「もし自分が急に休んだら、誰が代わりにできると思いますか」と尋ねるだけでも、有用な情報が得られます。「誰もできないと思う」という回答が返ってきた業務は、優先的に手を打つべき対象です。

観点3: 記録が最新の状態を反映しているか

マニュアルや手順書が存在する場合でも、それが最新の実態を反映しているかを確認してください。システムの仕様変更やツールのアップデートがあったにもかかわらず、マニュアルが古いままになっているケースは非常に多く見られます。マニュアルの存在自体に安心してしまい、内容の鮮度を確認していないことが、見落としの原因になりがちです。

実践: 暗黙知依存度チェックシート

上記3つの観点を、実際の業務ごとにチェックできる簡易フォーマットにまとめると、次のようになります。

業務名なぜを説明できるか代役は務まるか記録は最新か依存度
月次請求書の発行△(一部説明できない)×(担当者以外は不可)×(マニュアルなし)
新入社員PCセットアップ○(他2名も対応可)○(手順書あり)
基幹システムのバッチ処理確認×(理由不明)×(担当者以外は不可)×(記録なし)

この表を、社内の主要な業務について1つずつ埋めていくことで、依存度の高い業務が浮かび上がってきます。「なぜを説明できるか」「代役は務まるか」「記録は最新か」の3項目のうち、2つ以上が×の業務は、優先的に対処すべき高リスク業務と判断してよいでしょう。

洗い出しの進め方: 誰に、どう聞くか

暗黙知依存の洗い出しは、担当者本人へのヒアリングを通じて進めることになります。この際、聞き方には注意が必要です。「あなたの業務が属人化しているかを調べたい」というストレートな伝え方は、本人に「自分が責められている」という誤解を与えかねません。

有効なのは、次のような前向きな切り口で伝えることです。

「あなたが安心して有給休暇を取れるように、業務の引き継ぎポイントを一緒に整理させてください」

この伝え方であれば、本人にとっても「自分のための取り組み」として受け止めやすくなります。実際、多くの担当者は「自分にしかできない」という状態に、誇らしさと同時に負担感も抱えています。長期休暇が取りづらい、体調不良でも無理して出社してしまう、といった悩みを抱えている担当者にとって、この取り組みは歓迎されるものになりやすいです。

ヒアリングの際は、次のような質問を投げかけると、暗黙知が浮かび上がりやすくなります。

  1. この業務で、マニュアルに書いていないけど実際にやっていることはありますか
  2. 「これを知らないと詰まる」というポイントはどこですか
  3. 過去に、教わった通りにやったのにうまくいかなかった経験はありますか(あれば、その時どう対処しましたか)
  4. もし今の手順に無駄や改善点があるとしたら、どこだと思いますか

特に3番目の質問は重要です。教わった通りの手順が通用しなかった経験がある担当者は、実は「教わっていない部分」で独自の判断や対処を行っている可能性が高く、そここそが最も文書化すべき暗黙知です。

見つかった暗黙知をどう文書化するか

洗い出しによって暗黙知が特定できたら、次は文書化のフェーズに移ります。ここで重要なのは、手順だけでなく「なぜそうするのか」という背景も一緒に記録することです。手順だけを書き写したマニュアルは、状況が変わった際に応用が利かず、結局また新たな暗黙知を生み出す原因になります。

文書化のフォーマットとしては、次のような構成が実用的です。

  • 手順: 具体的に何をどの順番で行うか
  • 理由・背景: なぜその手順が必要なのか。どんな問題を避けるためか
  • 例外・イレギュラー時の対応: 通常通りにいかない場合、どう判断するか
  • 参考情報の所在: 関連する契約書、システムのマニュアル、問い合わせ先など

「理由・背景」の欄を埋める作業は手間がかかりますが、この部分こそが、単なる手順の書き写しと、真に引き継ぎ可能な文書との違いを生みます。担当者自身も、理由を言語化する過程で「実はこの手順、今は不要かもしれない」といった気づきを得ることがあります。

属人化しやすい業務の傾向: 30人規模でよくあるパターン

10-30人規模の会社でヒアリングを重ねると、暗黙知依存に陥りやすい業務にはいくつかの共通した傾向があることが分かります。

  • 創業期から続く古い業務フロー: 会社設立初期に作られた業務フローが、規模が拡大した後も見直されないまま引き継がれているケース
  • 特定のシステムの「クセ」に依存した対応: 古いシステムや、開発会社のサポートが手薄なシステムほど、「このエラーが出たらこう対処する」という経験則が暗黙知化しやすい傾向があります
  • 月次・年次など頻度の低い業務: 日次業務は自然と複数人で共有されやすい一方、月末や年度末にしか発生しない業務は、担当者以外が経験する機会が少なく、暗黙知が蓄積しやすくなります
  • 他部署との調整を含む業務: 「この件は経理のあの人に確認する」といった、部署をまたぐ調整のノウハウは、マニュアル化されにくい典型例です

これらの傾向を踏まえ、洗い出しの優先順位をつける際は、まず「頻度が低く」「特定のシステムのクセに依存し」「部署をまたぐ調整を含む」業務から着手することをお勧めします。こうした業務ほど、暗黙知依存のリスクが高い割に、これまで見過ごされてきた可能性が高いためです。

「教わった通り」が実は誤っているケースへの対処

暗黙知の洗い出しを進める過程で、時折「これまで教わってきた手順が、実は不要、あるいは誤っている」ことが判明するケースがあります。この発見自体は、洗い出しの大きな成果の一つです。しかし、これを担当者に指摘する際は慎重な配慮が必要です。

長年その手順を守ってきた担当者にとって、「その手順は間違っていた」という指摘は、自分の仕事のやり方そのものを否定されたように感じられることがあります。指摘する際は、個人の落ち度としてではなく、「情報が正しく引き継がれてこなかった仕組みの問題」として位置づけることが重要です。

「あなたが間違っていたわけではなく、最初にこの手順を始めた人の意図が、引き継ぎの過程で伝わりきらなかっただけです。今回、正しい背景を確認できたのは大きな前進です」

このような伝え方をすることで、担当者も防衛的にならず、むしろ改善のプロセスに前向きに参加してくれるようになります。

洗い出しにかかる時間の目安

10-30人規模の会社で、主要な業務の暗黙知依存度を洗い出すのにかかる時間の目安を示します。

  1. 対象業務のリストアップ(半日〜1日): 各部署の主要業務を洗い出す
  2. チェックシートによる一次スクリーニング(1〜2週間): 各業務の依存度を大まかに評価する
  3. 高リスク業務への詳細ヒアリング(1業務あたり1〜2時間): 依存度が高いと判定された業務から順にヒアリング
  4. 文書化(1業務あたり半日〜1日): 理由・背景を含めた形で記録する

すべての業務を一度に文書化しようとすると、いつまでも終わらない作業になってしまいます。まずは高リスクと判定された上位5〜10業務程度に絞り込み、そこから着手することを強くお勧めします。全体の完了までには、業務の複雑さや担当者の協力度合いにもよりますが、2〜3ヶ月程度を見込んでおくとよいでしょう。

システムに関する暗黙知は特に優先度を上げる

業務全般の暗黙知の中でも、社内システムの操作・トラブル対応に関する暗黙知は、特に優先度を上げて対処することをお勧めします。業務プロセスの暗黙知は、最悪の場合、時間をかければ他の社員が試行錯誤で再現できることもありますが、システムの操作方法やエラー対応の暗黙知は、知らなければ業務が完全に停止するリスクが高いためです。

システムに関する属人化リスクをより体系的に洗い出したい場合は、属人化を防ぐ社内システム管理台帳の作り方も参考になります。業務の暗黙知とシステムの暗黙知は密接に関連しているため、両方の視点を組み合わせて洗い出しを進めると、抜け漏れを減らせます。

洗い出しの結果を「誰が退職したら困るか」の一覧に変換する

暗黙知の洗い出しが一通り終わったら、その結果を「特定の人物が退職・異動したら、どの業務が止まるか」という一覧に変換しておくと、経営判断の材料として非常に有用になります。この一覧は、単に業務の属人化を把握するだけでなく、会社としての事業継続リスクを可視化する資料としても機能します。

この一覧の作り方については、総務1人が退職したら止まる業務を今のうちに数える方法で、より具体的なチェック手順を解説しています。暗黙知の洗い出しと、退職リスクの可視化は、表裏一体の取り組みとして合わせて進めることをお勧めします。

ケーススタディ: 月次請求書発行業務の暗黙知を解きほぐす

具体的なイメージを持てるよう、架空のケースを紹介します。社員28人の会社で、経理を担当する社員が月次請求書の発行業務を担当していました。この業務は入社時に前任者から口頭で引き継がれたもので、マニュアルは存在しません。

暗黙知依存度チェックシートで評価したところ、「なぜを説明できるか」は△(一部の手順の理由が不明)、「代役は務まるか」は×(他の社員は誰も経験がない)、「記録は最新か」も×(マニュアルなし)という結果になりました。ヒアリングを進めると、次のような実態が見えてきました。

  • 特定の取引先だけ、請求書の発行日を月末ではなく25日にしている理由を、担当者自身も「前任者からそう言われたから」としか説明できなかった
  • 調査の結果、その取引先の経理締め日が25日であることが取引先の担当者への確認で判明し、初めて「なぜ」が言語化された
  • 一方で、別の取引先向けに毎回手作業で行っていた金額の再計算は、実は数年前に会計ソフトの機能改善で自動化されており、もはや不要な作業であることが分かった

このケースが示すのは、暗黙知の中には「今も有効な合理的な理由があるもの」と「すでに形骸化して不要になっているもの」の両方が混在しているという点です。理由を掘り下げるプロセスを経なければ、この2つを区別することすらできません。文書化によって前者は正式な手順として明文化され、後者は業務の見直しによって廃止されました。結果として、担当者の月間の作業時間は数時間分削減されています。

部署をまたぐ暗黙知は特に見落とされやすい

洗い出しの過程で、特に見落とされやすいのが、複数の部署にまたがる業務の暗黙知です。例えば「新規契約の際は、営業が一次情報を集め、総務が契約書を確認し、経理が支払い条件を登録する」という一連の流れの中に、部署間の連携部分だけに存在する暗黙知が隠れていることがあります。

「このタイミングで経理に連絡しないと、支払いサイトの設定が翌月にずれ込んでしまう」といった、単一の部署の中だけを見ていては気づけないノウハウは、部署ごとのヒアリングだけでは発見しにくい性質を持っています。こうした部署横断の暗黙知を洗い出すには、関係する複数の部署の担当者を同じ場に集め、業務の流れを最初から最後まで一緒にたどってもらう「業務フローの棚卸しミーティング」のような場を設けることが効果的です。

洗い出しを「一度きりの調査」で終わらせない工夫

暗黙知の洗い出しは、一度実施しただけでは効果が長続きしません。時間が経つにつれて新しい業務が生まれ、新しい暗黙知が蓄積されていくためです。継続的に暗黙知の発生を抑えるには、次のような仕組みを日常業務に組み込むことが有効です。

  • 新しい業務手順を作った際、その場でメモを残す習慣を全社的に推奨する
  • 担当者が変わるタイミング(異動・昇進・退職)を、暗黙知の棚卸しを行う自然なきっかけとして活用する
  • 定期的な1on1や面談の場で、「最近、マニュアル化されていない作業が増えていないか」を確認する項目を加える

これらの工夫は、いずれも大きなコストをかけずに実施できるものです。暗黙知の蓄積を完全にゼロにすることは現実的ではありませんが、蓄積のスピードを緩め、定期的に棚卸しする習慣を根付かせることで、リスクを管理可能な範囲に抑え続けることができます。

暗黙知の文書化にかかるコストと、放置した場合のコストを比較する

暗黙知の文書化に着手することをためらう経営者や担当者の多くは、「文書化には時間がかかる」という点をネックに感じています。確かに、理由や背景まで含めた丁寧な文書化には、それなりの時間がかかります。しかし、文書化にかかるコストと、暗黙知を放置し続けた場合に将来発生しうるコストを比較すると、多くの場合、前者のほうがはるかに小さく済みます。

暗黙知を放置した場合に発生しうるコストには、次のようなものがあります。

  • 担当者が急に不在になった際、業務が停止することによる機会損失
  • 誰も分からないまま試行錯誤する時間(文書化しておけば不要だった時間)
  • 外部の専門家に緊急で相談する際の追加費用(平時から準備しておけば発生しなかった費用)
  • 誤った暗黙知に気づかないまま業務を続けることによる、非効率の蓄積

文書化のコストは「今、確実に発生する小さなコスト」であるのに対し、放置のコストは「将来、不確実だが発生した場合は大きなコスト」という性質を持ちます。この非対称性を理解することが、文書化への着手を後押しする材料になります。

チームで取り組む場合の役割分担

暗黙知の洗い出しと文書化を、総務担当者や特定の1人だけに任せてしまうと、その担当者自身が新たな単一障害点になりかねません。可能であれば、次のような役割分担でチームとして取り組むことをお勧めします。

  • ヒアリング担当: 各業務の担当者に質問を投げかけ、暗黙知を引き出す役割
  • 文書化担当: ヒアリングの内容を、決まったフォーマットに沿って整理・記録する役割
  • レビュー担当: 完成した文書を、実際に別の人が読んで理解できるかを検証する役割

小規模な組織では、これらの役割を厳密に分けることは難しいかもしれませんが、少なくとも「文書化した本人以外の誰かが、内容を確認する」というレビューの工程だけは省略しないことをお勧めします。文書を書いた本人は、無意識のうちに「自分には自明なこと」を省略してしまいがちです。第三者が読んで初めて、説明不足の箇所に気づけます。

経営者が暗黙知リスクを軽視してしまう理由

多くの経営者は、業務が問題なく回っている限り、暗黙知に依存した運用状態そのものには気づきにくいものです。ここには構造的な理由があります。暗黙知は「業務がスムーズに回っている」という表面上の結果しか経営者の目には映らず、その裏側で特定の担当者だけが背景知識を抱え込んでいるという実態は、意識的に確認しない限り可視化されません。

さらに、暗黙知に依存した担当者ほど、業務を安定してこなす能力が高いという逆説的な事情もあります。皮肉なことに、優秀で頼れる担当者ほど、周囲から「あの人に任せておけば大丈夫」と見なされ、暗黙知の点検やヒアリングの対象から外れやすくなる傾向があります。しかし、この「頼れる人」こそが、実は最も暗黙知を多く抱え込んでいる可能性が高い人物でもあります。経営者は、業務が順調に見えるときこそ、あえて「この業務は本当に、この人以外でも回るだろうか」と問い直す視点を持つ必要があります。

暗黙知の洗い出しを人事評価と切り離す

暗黙知の洗い出しを進める際に注意したいのが、この取り組みを人事評価と結びつけないことです。「暗黙知を多く抱えている人ほど評価が低い」といった運用にしてしまうと、担当者は暗黙知の存在を隠そうとするインセンティブを持ってしまい、正確な洗い出しができなくなります。

むしろ逆に、「自分の業務の暗黙知を進んで開示し、文書化に協力してくれた人」を前向きに評価する姿勢を示すことが、洗い出しの精度を高める上で効果的です。暗黙知を抱えていること自体は、その担当者がこれまで会社に貢献してきた証でもあります。この貢献を正しく評価しながら、同時にリスクとしての側面にも対処していくという、両立した姿勢を経営者が示すことが、洗い出しへの協力を引き出す鍵になります。

まとめ: 「教わった通り」を疑うことは、否定ではなく前進

「入社時に教わった通りにやっています」という言葉は、一見すると業務が問題なく引き継がれている証のように聞こえます。しかし、その裏には「なぜそうするのか誰も説明できない」「代役が務まらない」「記録が古いまま更新されていない」といったリスクが隠れていることが少なくありません。

10-30人規模の会社は、まさにこの暗黙知が伝言ゲームのように蓄積し始める時期にあります。この段階で一度立ち止まり、「なぜを説明できるか」「代役は務まるか」「記録は最新か」の3つの観点で業務を見直すことは、決して過去のやり方を否定する作業ではありません。むしろ、これまで会社を支えてきたやり方の価値を、きちんと言語化して次の世代に引き継ぐための、前向きな取り組みです。

すべての業務を一度に洗い出す必要はありません。まずは1つ、最も不安を感じている業務から、「なぜ」を尋ねるところから始めてみてください。小さな1つの成功体験が、次の業務の洗い出しへの意欲につながり、やがて社内全体に「暗黙知を溜め込まず、言語化して共有する」という文化が根付いていきます。この文化そのものが、10-30人規模の会社が次の成長段階に進む上での、目に見えにくいけれど確かな資産になります。自社の状況を客観的に把握したい場合はひとり情シス危険度診断も、あわせてご活用ください。